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お父様の声、真央ちゃんを気遣う声、匡子さんとの半生

グランプリファイナル、先ほどテレビで観戦しました。

ジュニアはもう結果が出ていて、シニアもSPまで終わりましたね。
これについては、次の記事でまとめたいと思います。

匡子(きょうこ)さん逝去のニュースから早1日。
お父様のコメントも発表されたようですね。
真央ちゃん、舞さんは少しは落ち着いたでしょうか…。

溢れかえるニュースの中から、整理してまとめてみました。

・お父様のコメントを伝える記事(1つ)
・真央ちゃんを気遣う声を伝える記事(5つ)、動画(1本)
・お母様と真央ちゃんに関する記事(3つ)
・全日本特例措置の可能性を伝える記事(1つ)

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■真央ちゃんのお父様、敏治氏の言葉


「真央は気丈に…」父・敏治氏がコメント
デイリースポーツ 2011年12月10日

 9日に浅田真央の母、匡子さんが肝硬変のため死去したことを受け、浅田の父敏治氏は10日、浅田のマネジメント会社を通じてコメントを発表した。

 「この度は、皆様に大変ご心配をおかけしております。本来なら、故人が生前お世話になった皆様にも最後のお別れをさせていただかなければならないところ、誠に勝手ながら、生前からの故人の強い希望で、葬儀は家族だけで執り行わさせていただきます。舞も真央も、母のやすらかに眠っているような顔を見て、やっと苦しかった闘病生活が終わったことを自分たちなりに納得し、今は気丈にしています。今後とも、娘たちを温かく見守っていただけますようお願いいたします」

 通夜は11日で告別式は12日。ともに名古屋市内で近親者のみで行う。


■真央ちゃんを気遣う選手たちと関係者の声を伝える記事5つ

山田満知子コーチが、真央ちゃんについて語った動画です。
動画主さん、ありがとうございます<(_ _*)>”



山田満知子コーチの言葉)

「ママと一緒でね、凄い芯が強い子なので、
(スケートは)何事もなかったかのようにやるでしょうけど、
ママが亡くなったてことは、これからまた
みんなで助けていかなきゃならないですよね、きっとね。」


記事1

ISU会長も弔意 沈痛な面持ちで「悲しい」
スポニチ 2011年12月10日 01:57

 国際スケート連盟(ISU)のオッタビオ・チンクアンタ会長は9日、フィギュアのグランプリ(GP)ファイナルを欠場した女子の浅田真央選手(中京大)の母親、匡子さんの訃報を受け、共同通信の取材に「とても悲しい知らせ」と沈痛な面持ちで答えた。

 東日本大震災で開催地が東京からモスクワに変更となった4月の世界選手権では会場で黙とうがささげられたが、今回は個人の悲報ということもあり、特別な対応は考えていないという。同会長はISUから日本スケート連盟へ既に弔意を伝えたことも明らかにした。

 ▽伊東秀仁・日本スケート連盟フィギュア委員長の話 
非常に残念。今大会は残された選手で頑張る。連盟としては力になれるところで精いっぱいバックアップしていきたい。(世界選手権代表選考会の全日本選手権を欠場した場合については)今は何も言えない。


記事2

「浅田の頑張りが一番」=フィギュア委員長、哀悼の意-日本スケート連盟
時事ドットコム 2011/12/10-05:38

 【ケベック市(カナダ)時事】日本スケート連盟の伊東秀仁フィギュア委員長は9日、浅田真央(中京大)の母匡子さんが死去したことを受け、当地で記者会見して「非常に残念な結果。心よりお悔やみ申し上げます」と哀悼の意を表した。
 
伊東委員長は「私も(浅田の)お母さんと親しくさせていただいていたので、言葉にならない。お母さんはずっと真央と二人三脚でやってきたのだから、真央がスケートで頑張ることが一番。早く立ち直ってほしい」と沈痛な面持ちで語った。

 関係者によると、国際スケート連盟のチンクアンタ会長から、日本スケート連盟の橋本聖子会長を通じお悔やみのメッセージが寄せられた。


記事3

「ずっと二人三脚で…」 浅田選手の母死去、選手ら悼む
朝日新聞 2011年12月10日12時12分

 浅田真央(中京大)の母、匡子さん(48)の突然の悲報に日本スケート連盟の伊東秀仁フィギュア部長は9日、グランプリファイナルが行われているカナダ・ケベック市で取材に応じ、「非常に残念。生前、ずっと二人三脚でがんばってきた。これから真央がスケートでがんばることが、天国のお母さんが喜んでくれること。早く立ち直って欲しい」と話した。伊東部長は国際スケート連盟(ISU)のチンクアンタ会長からも日本連盟の橋本聖子会長あてに弔意の手紙を送られたことも明らかにした。また、日本選手団はこの日から上着に黒い喪章をつけて試合に臨むことにした。

 海外の選手からも浅田を気遣うコメント。トゥクタミシェワ「とても残念に思う。でも、真央はより強く復活することを願っています」。長年試合で顔を合わせているコストナーは、日本メディアから初めて話を聞かされて絶句。大粒の涙を流し、「言葉にできない。ごめんなさい」と立ち去った。


記事4

真央を気遣う高橋「どういうふうに向き合っていくのか…」
スポニチ 2011年12月10日 13:14

 フィギュアスケートGPファイナル (12月9日 カナダ・ケベック)

 出場予定だった浅田真央が母・匡子さんの急死で欠場。哀悼の意を表し、日本選手はウエアに喪章を付けて試合に臨んだ。羽生結弦「自分も被災した(東日本大震災)後の世界選手権で日本選手団が喪章を付けてくれた。悲しい思いを実感した」と沈んだ声で話した。

 高橋大輔は浅田を「お母さんを大好きだった。今後どういうふうに向き合っていくのかがすごく心配」と気遣った。(共同)


記事5

熱戦の地に悲しみ広がる=浅田選手の母死去で-GPファイナル
時事ドットコム 2011/12/10-16:37

 【ケベック市(カナダ)時事】フィギュアスケートのグランプリ(GP)ファイナルが開幕した9日、浅田真央選手(21)=中京大=の母匡子さんの死去を知った日本選手らに悲しみが広がった。

 日本勢はこの日、そろいのジャージーに喪章を着けた。高橋大輔選手(25)=関大大学院=は「(浅田選手の)お母さんとは親しくさせていただいていた。気持ちをどう表現したらいいのか分からない」と沈痛な面持ち。「浅田さんが今後、このことにどう向き合っていくのか心配」と気遣った。

 初日の女子ショートプログラム(SP)で2位と好発進した鈴木明子選手(26)=邦和スポーツランド=は、涙を浮かべて「彼女も滑りたかったと思う。私に代わりはできないが、できることをしっかり最後までやろうと心掛けた」

 外国勢にも衝撃が走った。女子SP首位のカロリナ・コストナー選手(24)=イタリア=は、報道陣から悲報を聞かされると一瞬絶句。「言葉にならない…ごめんなさい」と大粒の涙を流した。


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フィギュアのGPファイナルの会場に掲げられた浅田真央のバナー
Photo By 共同

■真央ちゃんと匡子さんの半生を伝える記事4つ

記事1

真央、最大の理解者失う…二人三脚で歩んだ母
読売新聞 2011年12月10日08時38分

 フィギュアスケート女子の浅田真央(中京大)の母匡子(きょうこ)さんが9日早朝、亡くなった。浅田にとっては最愛の母であり、理解者だった。

 2010年バンクーバー五輪で銀メダルを胸にかけられた浅田は、メダルを見せたい人はと聞かれると、真っ先に「お母さん」と即答した。匡子さんはリンク脇で、娘をずっと見守り、励ます最高のコーチでもあった。

 5歳の時、2歳上の舞と一緒にスケートを始めた。この時、匡子さんの胸にはある思惑があった。3歳の時に始めたバレエのため、「フィギュアをすれば足首が鍛えられる」と考えていた。しかし、「将来はバレリーナに」という母親の願いとは別に、娘はスケートのスピード感に引かれていった。

 娘の希望に寄り添う形で、母は1日の多くの時間をリンクで一緒に過ごすようになった。熱心にフィギュアを学び、自らのコーチ登録を考えていたほどの熱の入れようだった。

 「真央がいい演技ができたかどうかは、終わった後の顔を見れば分かる」と匡子さんは話したことがある。娘も「私のことを一番分かっているのはママ」と話す最高の関係だった。

 今年の夏ごろからは、体調を崩してリンクに送り迎えできなくなった母の代わりに、自らハンドルを握って一人で通っていた。かけがえのない存在を失った悲しみは計り知れない。(若水浩)


記事2

浅田真央の母、匡子さん死去 真央はカナダから緊急帰国
中日スポーツ 2011年12月10日 紙面から

 フィギュアスケートの浅田真央(21)=中京大=の母親、匡子(きょうこ)さんが9日早朝、肝硬変のため名古屋市内の病院で死去したとマネジメント会社が同日、発表した。48歳だった。葬儀は近親者のみで執り行う予定。匡子さんは今夏から病状が悪化し、入退院を繰り返していたという。真央はカナダ・ケベックで行われるグランプリ(GP)ファイナル開幕前日の8日(日本時間9日)、病気悪化の一報を受けて欠場を決断。急きょ帰国の途に就いたが、最愛の母の最期には間に合わなかった。 

 一刻も早く母の元へと急いだ真央には、無念の知らせだった。匡子さんは真央が日本に戻る機内にいた時に帰らぬ人に。名古屋に9日夜戻った真央は、悲しみの対面を果たすことになった。

 ケベックにいる真央の元へ母の容体悪化の知らせが入ったのは、現地の8日早朝午前5時(日本時間同午後7時)すぎ。急いで佐藤信夫コーチ(69)と帰国の途に就いた。急な知らせにも真央は冷静に対応。日本のチームリーダーでもある連盟の小林芳子フィギュア強化副部長によると「本当に凜(りん)として、気丈に振る舞っていた」。出発する時は「ご迷惑をお掛けします」と関係者にわびたという。

 真央と匡子さん親子のきずなは有名。試合会場や練習では、いつも付きそう姿が見られた。その様子に変化が出てきたのは昨季ぐらいから。佐藤コーチの指導を受けに真央一人で横浜に向かうようになった。さらに今年は自動車の運転免許も取得し、自分で運転して練習へ通うように。今春以降、匡子さんの姿が見られなくなったという。

 マネジメント会社は「内臓疾患を抱えていた母親の病状が今夏から悪化した。入退院を繰り返していた」と事情を説明。周囲からは「(匡子さんの)顔色が悪くなっていたので心配していた」という声もあった。

 前日の公式練習ではリラックスした様子で調整していた真央。それだけに小林副部長「非常に大切な試合で、彼女も手応えを感じていたと思う。こんな事態になるとは予想しなかった」と戸惑いを隠せなかった。スケート関係者にも衝撃が走り、国際スケート連盟のチンクアンタ会長「残念だけど家族のことが一番大事」と気遣った。ファイナルで優勝を争うはずだったアリッサ・シズニー(米国)が「彼女は素晴らしい競争相手。とても心配」と話せば、カロリナ・コストナー(イタリア)も「私が真央でも同じように帰国する。とても悲しい」と、沈痛な面持ちを見せた。

 佐藤コーチとともに帰国した際、真央は成田空港で黒のニット帽を目深にかぶり、マスクをつけて伏し目がち。「日本の皆さんが心配していますが」との問い掛けには、無言で一礼して通り過ぎた。この時にはすでに悲しい知らせが届いていたのかも知れない。2週間後の23日からは、世界選手権代表が懸かる全日本選手権も始まる。傷心の真央は立ち直ることができるのか。 (田中一正)


記事3

真央“一人立ち”に込められた母への愛…寿司と新幹線と自動車
ZAKZAK 2011.12.10

 GPファイナルを欠場して帰国した浅田。これまで体調不良の母のため気丈に演技を続けてきたが…【拡大】

 フィギュアスケート日本女子のエース、浅田真央(21)=中京大=の母、匡子(きょうこ)さんが9日早朝に肝硬変のため名古屋市内の病院で死去していたと浅田のマネジメント会社が発表した。48歳だった。

 3季ぶりの世界一を目指して出場が決まっていたカナダ・ケベックでのグランプリファイナルを「母親の容体が急変」を理由に突然欠場することを決めた浅田。

 カナダを発つ際もスケート連盟関係者に「本当にご迷惑をかけます」と気丈に頭を下げていたという。実はこの時、母親はまさに生死の境をさまよっていたのだ。

 9日午後に成田空港に到着した浅田は母の最期を看取れず。ただ、一緒に帰国した佐藤信夫コーチ(69)が「何の情報もありません」と語ったほど、亡くなったことは誰にも知らされなかった。

 皮肉なことだが、浅田にとって母親の病気が、精神的に自立するための分岐点になっていた面がある。

 ここ数年続いた匡子さんの体調不良は、フィギュア関係者にとっては公然の秘密。2005-06年シーズンで、15歳にして鮮烈なシニアデビューを果たしてからは、「私は試合には行かない」と公言していた匡子さんだが、そのかわり練習では、世界のどの会場でも浅田のとなりにいた。

 まさに親子二人三脚でフィギュアの世界一を目指してきたのだが、浅田は20歳になったころから「運転免許をとりました」と話したり、「ひとりで寿司屋さんにもいったんです」と明かすなど、これまでとは違い、「単独行動」が目立っていた。

 練習の拠点が新横浜に移ってからは、「初めて新幹線もひとりで乗ったんです」と、ようやくできた“親離れ”と思われていた。

 これまで名古屋での送迎は必ず匡子さんの運転で、浅田が助手席に乗っていた。病床の母親の負担を減らすために浅田が代わりにやりはじめたことだったのだ。

 これまでは担当コーチや衣装、選曲などすべて匡子さん主導でやってきた。3季ぶりのGPファイナルまで長く深いスランプに陥り、自慢のトリプルアクセルが全く跳べなくなっていた。その理由は病床の母の状態が気が気でなかったからにほかならない。

 GPファイナルにむけてカナダ入りしたときには「すべてにおいて自信があります」と言い切っていた浅田。そのりんとした表情のウラで、生死をさまよっていた母への思いを背負っていたということになる。

 親離れ子離れができていないといわれ続けていた浅田親子。しかし2人の今生の別れによって、生まれ変わった浅田真央が必ず見られるはず、見られると信じたい。


記事4

匡子さん 目立たずにそっと、誰よりも熱く真央を応援
スポニチ 2011年12月10日 06:00

浅田真央の母・匡子さん死去

 次女の真央と、長女の舞の競技生活を支え、バレエの経験を生かした技術的なアドバイスも送った匡子さんには、一つのルールがあった。

 海外遠征にも常に同行し、試合会場で姿を見かけることも多かったが、真剣なまなざしで見つめるのは練習まで。本番になると会場にはいなかった。理由は「心配で見ていられないから」――。銀メダルを獲得した10年バンクーバー五輪も、競技中は市内のホテルでテレビ中継も見ずに過ごし、関係者からの連絡で結果を知ったほどだ。過去、コーチ選びなどで匡子さんの意向が大きく影響したことは間違いないが、本人は表に出ることを嫌った。目立たずにそっと、誰よりも熱く浅田を応援していたのが、匡子さんだった。


真央ちゃんと匡子さんが一緒に収まってる写真です。

匡子さんさんは、笑顔が似合う方ですね。
あどけない真央ちゃんと舞ちゃん。
優しい笑顔の匡子さん。

この大らかな笑顔に包まれて、真央ちゃんと舞さんは育ったのですね。

2005年2月25日、中部国際空港で
世界ジュニア選手権に出発する浅田真央選手(左)と母の匡子さん
=2005年2月25日、中部国際空港で


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■世界選手権のための特例の可能性


真央 世界選手権代表選考で特例の可能性も
スポニチ 2011年12月10日 09:15

 日本スケート連盟の伊東秀仁フィギュア委員長は9日、母親が急逝した女子の浅田真央(中京大)が世界選手権(来年3月・ニース=フランス)の代表選考会を兼ねて23日に開幕する全日本選手権(大阪)を欠場した場合の特例措置について「今は何も言えない」と明言を避けながらも検討する可能性を示唆した。

 日本連盟はグランプリ(GP)シリーズのランキングや世界ランキングの日本勢上位3人などを選考対象にするが、「最終選考会である全日本選手権への参加は必須」と定めている。(共同) 【Go!アスリート 浅田真央】




お母様の訃報を聞いて、言葉を失くし、大粒の涙を流したコストナー選手。
喪章をつけて、チームジャパンとして戦ってくれている仲間たち。

真央ちゃんを大切に思ってる人は、たくさんいますね。

今はたくさん泣いても、心が落ち着いたら、
こんな素敵な仲間がいることを思い出してね、真央ちゃん。



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  1. 2011/12/11(日) 00:19:42|
  2. 浅田真央ニュース|
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