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日本と韓国だから浅田真央に勝たなくちゃならない…キムヨナインタビュー

2011.11.14にオール・ザット・スポーツの事務所で行われたというインタビューです。
非常に長いですが、全文に渡って突っ込みたくなるところが…。

長くて読む気がしないという方は、赤文字(キムヨナ)だけでも。
または、2chで要約されていたものを2つお借りしてきましたので、それだけでも。

最後に、私なりのまとめというか…
テーマ別にキムヨナの言葉を整理してみました。

これを読んで、賛否両論あると思います。

賛成…キムヨナに同情。大人に利用され自分のしたいこともわからず可哀相。
否定…嫌いなフィギュアを嫌々やっていたのか。真面目にやってる選手達に失礼だ。

私は「賛成」の部分も多少理解できますが、
「否定」の部分をより強く感じます。

嫌々やるのはまだいいんです。
才能があるばかりに好きでもないことをやらされるのは可哀相と思う。

でも、記者の補足文のような状況でやっていたかと思うとゾッとします。

'平昌冬季オリンピック誘致のために
キム・ヨナ選手が試合に出場して現役で残っていなければならない'
という政府と大韓体育会などの要請のためだった。


という部分です。

すなわちキムヨナの出場&優勝には政府と大韓体育会の思惑が絡んでいたという証拠です。

出場すれば必ず勝てる、という保障もないのですから、
勝たせるために何らかの根回しがあったことが容易に想像できます。

また、浅田選手とのライバル関係については、
「日本と韓国だから勝たなくちゃいけない」と…。

韓国の「日本憎し」の教育に蝕まれてるのはキムヨナもまた同じのようです。

それからオーサー監督について…。
4年間もキムヨナの専属コーチとして歩んできた人物に対して「その人」呼ばわり。
そういえばツイッターでは「嘘つき」呼ばわりしていましたね。
この言葉選びには、恩師に対する尊敬のかけらも感じられなくて残念です。


[チェ・ポシクが会った人] 'フィギュア女王'キム・ヨナ
朝鮮日報 2011.11.21 03:09

"私はいつも試合がなくなるのを望んだ…再び授賞台に立てないようで"

2011112001025_0.jpg

キム・ヨナ選手は黒色衣装に軍靴のように首が長い黒い靴を履いていた。私は全く見慣れなくなかったけれど、彼は私を見て緊張したようだった。このフィギュア女王は初めには低い声で"はい" "そうです"短答を繰り返した。

―今日何をしたんですか?

"学校授業を聞いて運動して…."

彼は3週前から高麗大(体育教育学科3年)で講義を聞いているといった。それ以前までは入学だけしておいたところで試合と訓練などで学校を出て行ったことがなかった。

―キム選手は"大学生活が気になってその生活を感じた後卒業したい"と話したことがありましたよ。 今は同じ年頃友人と交わってそれを楽しんでいるんですか?

"しばしば行くことでもなくて、講義があるときは講義だけ聞いてすぐに離れます。 共に講義聞く学生たちは体育特技生です。 偶然に一般学生たちと廊下であって噂が広がれば講義室ガラス窓に集まって見つめることはあります。 事実似合って親しく過ごす時間がないです。"

―本人が決心したとおり生きるのが容易ではありませんか? 各種公式行事はもちろんで新車発表会、陶磁器製品発売のような企業行事まで構成されたスケジュールのとおり動くほかはありませんか?

"時々どんな行事場所にある時'私がなぜここにあるか'とする気がする時もあります。 それでもしなければならないからしなくてはね。 私の意志ではなくてもですね。"

―試合と訓練のために外国はたくさん通ったが、スケートを履かないでリンクにも立ち寄らない自由な旅行をしてみたいといったが?

"それ以前にはシーズン(試合)準備で一日ずっと運動にだけぶらさがります。 大変でもして嫌いなのにすべきです。 それでも結果が良くなければストレスを受けて。 私の頭の中には'どうか試合がなかったら良いだろう'という考えが多かったんですよ。 その時はしたかったことあったが。 この頃はそのような考えも入らないで、学校も通って他の活動をするとこの程度なら満足しています。"

―キム・ヨナ選手のそばにはいつもママがついていましたよ。 ストレスをママに解きましたね?

"チェッ、解くのでなくママのためにストレスを受けるだろう(笑い)."

―なぜママがそばで小言楷書? 仲が良くなかっただろうね。

"ずっと良くなかったんですよ。 訓練してみるならば衝突があるでしょう。 大きくては理解するが。 ママは'何をしなさい'で簡単に注文するのにそれ自体がストレスですね。 ママが直接スケートを一度乗ってみろというだろう、どこ話のようにやさしくなるんですか。 私も上手にしたいがずっと注文が入ってくると…."

―本人も子供を育てれば今のママのようにするのですか?

"ママのようによくないと思います。 そのようにはしたくありません。 私は運動をするのを上手にしたという気がするが、私の子供には…、あまり荷が重いです。"

―バンクーバー冬季オリンピック金メダルを取った時が一番幸せな瞬間でしたよ?

"どんな瞬間とすればところで、だが、瞬間は過ぎ去ることですから、みな過ぎたことでしょう。 私は試合と訓練のストレスである程度抜け出した今が一番幸せです。"

―キム・ヨナ選手は大きい試合でも表情の変化がないです。 見ていれば'あの幼い年齢に'とする心が自ずと持ちます。

"よく言ってクールな方です。 仕損じたり結果が良くなくても簡単に忘れます。 一つにささって深いと考えません。 他の小心な選手たちはいくら心理治療を受けてもうまくできないようです。 私は試合を控えてもとても気楽に見えて周辺でやきもきです。"

―本当の中でも震えませんか?

"試合に出て行って心臓がドキドキ震える時はコンディションが良くなかったり私が上手にできるという確信がない時だけそうします。 表面でもあらわれます。 表情が固まって言葉がなくて鋭くなります。 私が十分に準備したら確信ができます。"

―同い年のライバル浅田真央選手といつも比較されますか?

"ジュニア選手で一緒に始めてシニアまで一緒に競争する場合が珍しいです。 初めには私が遅れていたが、同じ東洋人に韓国と日本であるから勝たなくちゃいけないいと負けん気ができました。 ついてみるからするに値しましたし。"

―別に連絡もやりとりするんですか?

"深く話してみたことがなくて試合現場で会うだけでしょう。 真央は私に対してどう思うかも知れないか、私には有難い選手でしょう。 競争してきたので互いに技量が増えました。 真央がなかったら刺激や動機付与がなかったでしょう。"

―バンクーバー冬季オリンピックで浅田真央を折って授賞台で流した涙は忘れることはできないです。

2011112001025_1.jpg

"冬季オリンピックが終われば私の選手生活は終わりだと考えてきました。 ところで金メダルを取って1ヶ月の後'トリノ世界選手権大会'(2010年3月)に出て行けといいますよ。 その前に出場約束はなっていました。 オリンピックで望む目標を成し遂げた後と意欲もなくて練習もできません。 わけもなく出て行って恥さらしだけ当てられることができて。"

―世界最高の女優がファンたちに自身の老いていく姿を見えないために隠遁したい心情のようなものでしょう。

"私が死んでもできないと大騒ぎをしたがとにかく出て行くほかはない状況でした。"

トリノ世界選手権大会でキム・ヨナはライバル浅田真央に負けて2位に終わった。

―去る4月'モスクワ世界選手権大会'に出場したのも大変な決定繋いだでしょうね。

"半年以上出て行かないと戦いましたよ。 周辺であまりにも説得をしたら仕方なかったが、出て行くことにしておいても後悔してあきらめたかったんですよ。"

―説得された理由が何だったんですか?

"…周囲で出て行かなければマスコミやファンたち、国民が私を冷遇することといいました。 まだ私はそれが理解できないです。 なぜそうなのか。"

―それ以前まで国民の愛と支持度は100%でした。 だが、ブライアン・オーサーコーチとの決別波紋から人々はキム選手に対して他の言葉もすることになりましたよ。

"そうだ、そのようなことがありましたよ。"

―私たちの情緒上師匠と弟子で見たことでしょう。 良く過ごして解雇をしてしまったように映ったので….

"その方とは契約をしたこともなかったです。 そんなに騒々しいのがあっけなかったです。 選手たちはコーチを変えます。 ある選手はみなそうします。 選手側がそのような決定をしますよ。 オリンピックも終わったし私には新しい環境が必要だったことでしょう。"

―オーサーコーチがマスコミを通じてそのような決定が誤ったように流しましたね?

"その時ママをののしる人がものすごく多かったです。 内容を分からない人々が私をののしってママをののしると気持ちが良くなかったんですよ…. 事実モスクワ大会に出場することになった最も大きい理由がありました。 それは話せないです。"

―読者らがその理由を心配しているはずなのに。

"話せないです。 私の周囲の人は分かります。"

彼の周囲を取材してみると、'平昌(ピョンチャン)冬季オリンピック誘致のためにキム・ヨナ選手が試合に出場して現役で残っていなければならない'という政府と大韓体育会などの要請のためだった。

―モスクワ世界選手権では安藤美姫選手に押されて準優勝をして泣きましたよ。

"マスコミでは'2等をしてくやしくて泣くよ'したがそれは100%違って。 複合的でした。 試合を準備しながら途方もなく大変でした。 終わったことに対し気楽さがありましたよ。 また、授賞台に立った時'もう再びこの位置に立つことができないよ'とする感慨でかっとしました。"

―公式大会出場はモスクワ世界選手権で終わりという意なの?

"二度と…、すべてのことが終わったという考えでしたよ。"

キム・ヨナは今回のシーズンには出場しなかった。 今後日程に対しても沈黙してきた。

―世の中の人々は'2014年ソチ冬季オリンピックにもう一度出て行きなさい'で望みますね。 もしかしたらキム・ヨナ選手立場では残忍な要求だと言えるでしょうね。

"私はバンクーバー冬季オリンピック出場を待ってずっと訓練してきました。それを終えたがまた、4年を待てと….女子シングル フィギュア種目でオリンピック2連敗はカタリナビット(ドイツ)選手が唯一です。この種目の全盛期は18才~20代始めです。その年齢をすぎれば体力的に大変です。"

―この前まではキム・ヨナ選手は少女だったが今は淑女に見える時があります。

"からだがますます固まるようです。 フィギュアは腰を折って大騒ぎを咲くが、去るモスクワ大会を準備する時初めにとても大変でした。"

―キム・ヨナ選手は'国民妖精'とも呼ぶが、足も美しいですか?

"フィギュア選手たちは足の指骨も飛び出してきてタコが捕えられるのに私は思うより大丈夫です(笑い)。 苦労を全然しなかった足のようです。"

―キム・ヨナ選手年齢ならばボーイフレンドと付き合ってみる時なのに、現実的に制約が多いでしょう?

"そうです。"

―何年か前のパク・テファン選手と….

"サイワールド一寸に文一度書いたところ、ネチズンが立ち上がって'つきあいなさい'と言いました。 率直に兌換兄さんと行事で見たところで個人的には一度も会ったことないです。"

―そのような男の友人ならば?

"間違って言ってまた、どのようにニュースを飾るのか。"

―キム・ヨナ選手もツイッターをしますか?

"公式的な行事活動を知らせる時だけ使います。 個人的にはしません。 たいしたものでないもので記事を書かれるからです。 たとえば'今日お昼を食べられなかった'ですれば'キム・ヨナ腹がへって'とぱっと浮かび上がります。 内容もないのを持ってそのようにすれば真っ青になるでしょう。 私も気になるのが嫌いで。"

―キム・ヨナ選手にはママだけあってお父さんの存在は見えません。

"ママと一緒に通うから。 ママは気になるとパパが競技場にもこれないようにします。 バンクーバーオリンピック時は来られたが。 パパを置いてあらゆるうわさがあるとのことを聞きました。"

―世界的な選手になるまで熱心に仕事をして支援したお父さん(中小業者社長)話もしてこそ世の中のお父さんが自負心を持つはずなのに。

"(笑い)記者方々がママの話だけ尋ねるからです。"

―平昌(ピョンチャン)冬季オリンピック誘致のために南アフリカ共和国ダーバンに行ってきた後仁川(インチョン)空港で気力尽きて座り込んでいる姿に心が痛ましかったです。

"ダーバンが思ったより寒かったです。 プレゼンテーション前日風邪ひいて声が出てこなければどうするのか心配しました。 する時は大丈夫だったが終わってから緊張が解けて一度に疲労が来ました。 国内に入ってくる飛行機で毛布を二つも覆ったががたがた震えながら寝ました。 バンコクに少しの間休んできたが、吐くようで次の飛行機を調べてみてくれと言いました。 薬を飲んでそのまま乗ったが大丈夫でした。 仁川(インチョン)空港に到着するとまたからだがだらんと垂れ下がりました。 わけもなく良くない姿を見せるかもしれない記者会見には参加しませんでした。 周辺でたくさん心配したが単純な風邪疲労でした。"

―同じ年頃一般女子学生と比較して健康は?

"私が選手だから体力が良いと考えるのにさらに良くないか分かりません。 膝関節をあまりにも多く使ってすりへってすりへりましたよ。 ささいな痛みはいつも甘くて生きます。"

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キム・ヨナ選手は“オリンピック金メダルを取った後選手生活は終わりだと
考えたがまた、試合が待った”と話した。 /イ・テギョン記者ecaro@chosun.com


―スケート靴を脱げば何をしなければならないと考えてみたんですか?

"それをまだよく分からないです。 急いで決めなければならないことでもなくて、確実にしたいのもないです。 今までは試合だけ見て駆け付けたしそれだけはやく終わることを願ったところで、その後のことまでは考える余裕がなかったです。"

―心に合う友人は少しあるんですか?

"しばしば会う方々は大人が多いです。 対話相手は同じ年頃より高齢な方々がよく通じるようです。"

必ず30年差の私が話をよくしたし、彼はしばしば笑い出した。


■2chからお借りした要約文 その1


まとめると・・


・たまに授業にはでるが学校に親しい友人はいない

・広報イベント等も出たくないけど仕方ないから出ている

・選手時代は練習と試合が嫌でたまらなくこれさえなければやりたいことが
できるのにと思ったが、今は特にやりたいことは無い

・母親に練習中にあれこれ指示されることが大嫌い
母親のようには出来ないしやりたくない、子供にはスケートさせない

・五輪で金とったときも嬉しかったのは一瞬
練習と試合から解放された今のほうが幸せ

・私はクール、ミスや悪い結果もすぐ忘れるしこだわらないし試合前も動揺しない
小心な選手はいくら心理治療を受けてもそれが出来ない

・巻きますとは深く話したことなく連絡も取り合ったことがない
巻きますに負けたくないという気持ちがモチベになっていた

・バンクーバーが最後と思ってたのに直後のヲルドに出ろといわれて嫌だった(出る約束にはなってた) 
意欲もなく練習も出来なくて、無駄に出て恥晒ししたくなかったのに出さされた
死んでも出来ないと大騒ぎしたけどどうしようもない状況だったので仕方なく出た

・モスクワヲルドも半年以上出たくないと言い張ったけど、出ないとマスコミやファンや国民から
見捨てられると説得された
ヒラマサ誘致が終わるまでは現役でいてくれという政府と体育協会からの要請もあり
結局折れたが、出ると決めてからも後悔と投げ出したい気持ちだった

・オーサーとはきちんと契約してないし、コーチを切ったからってあれだけ騒がれたことに呆れた
選手は誰でもコーチを変えるしそれは選手が決めること
そのことで母親と自分が悪く言われて気分悪かった

・モスクワヲルドが終わったとき全てが終わったと思った
バンクーバーに出ようとずっと頑張ってきたのにさらに4年頑張るなんて無理だし体力的にもキツイ
体もだんだん硬くなってきていてモスクワヲルドの練習中は腰を折る動作がしんどかった

・ピギョ選手は足の骨がゴツゴツしたりタコができたりするけど私の足は綺麗

・男性と付き合うのに制約がある テファンオッパとも個人的に会ったことは無い
ボーイフレンド? うっかり口滑らしたらまた記事になるから言えない

・くだらないことがいちいち記事になるから、ツイッターは公式的なお知らせ以外には使わない

・父親が世間から注目されないのは常に母親べったりだから
父は試合の邪魔になるからと会場に来ることすら母に許されない(バンクーバーは許可が出た)
父親についてありとあらゆる噂があることを知っている

・ダーバンの帰りに具合が悪くなったのはただの風邪

・膝関節の使いすぎで磨り減っているので些細な痛みは常にある

・今まで試合が早く終わるようということだけ考えて頑張ってきたが、今は何がしたいかわからない
焦って決めたくないし特にこれがしたいということもない

・良く会う同世代の友人はいない、年が離れた人のほうが話しが合う


■2chからお借りした要約文 その2


さらにまとめると

別に友達いないしやりたいこともない、広報やイベントも嫌だ
ピギョの練習も試合も嫌い、だから結果のことなんか気にしないし動揺もしない             
ヲルドとか出たくないのに無理強いされて超迷惑
オモニは嫌い、アボジは影が薄い
巻きますとは親しくない
誤書を切って何が悪いのか、悪口言うな
ウリの足は綺麗、でも膝痛い
喪のウリにボーイフレンドの話題を聴くとか失礼であって1!
ウステラBで恥かいたからツイッタは使いたくない


■テーマ別にインタビューを整理してみました


■フィギュアスケートについての思い

大変でもして嫌いなのにすべきです。
私の頭の中には'どうか試合がなかったら良いだろう'という考えが多かったんですよ。

私は試合と訓練のストレスである程度抜け出した今が一番幸せです。

冬季オリンピックが終われば私の選手生活は終わりだと考えてきました。
ところで金メダルを取って1ヶ月の後'トリノ世界選手権大会'に出て行けといいますよ。
オリンピックで望む目標を成し遂げた後と意欲もなくて練習もできません。
わけもなく出て行って恥さらしだけ当てられることができて。

私が死んでもできないと大騒ぎをしたがとにかく出て行くほかはない状況でした。

半年以上出て行かないと戦いましたよ。
周辺であまりにも説得をしたら仕方なかったが、
出て行くことにしておいても後悔してあきらめたかったんですよ。

…周囲で出て行かなければマスコミやファンたち、
国民が私を冷遇することといいました。
まだ私はそれが理解できないです。 なぜそうなのか。

試合を準備しながら途方もなく大変でした。
終わったことに対し気楽さがありましたよ。
また、授賞台に立った時'もう再びこの位置に立つことができないよ'とする感慨でかっとしました。

二度と…、すべてのことが終わったという考えでしたよ。

私はバンクーバー冬季オリンピック出場を待ってずっと訓練してきました。
それを終えたがまた、4年を待てと…。
この種目の全盛期は18才~20代始めです。
その年齢をすぎれば体力的に大変です。

からだがますます固まるようです。
フィギュアは腰を折って大騒ぎを咲くが、去るモスクワ大会を準備する時初めにとても大変でした。   

彼の周囲を取材してみると、
'平昌冬季オリンピック誘致のために
キム・ヨナ選手が試合に出場して現役で残っていなければならない'
という政府と大韓体育会などの要請のためだった。

(最後の文はキムヨナの言葉ではなく説明文ですが、重要だと思いました・石ころ)

■浅田真央とのライバル関係について

初めには私が遅れていたが、
同じ東洋人に韓国と日本であるから勝たなくちゃいけないと負けん気ができました。

■今後について

時々どんな行事場所にある時'私がなぜここにあるか'とする気がする時もあります。
それでもしなければならないからしなくてはね。
私の意志ではなくてもですね。

それをまだよく分からないです。
急いで決めなければならないことでもなくて、確実にしたいのもないです。

■自分の性格について

よく言ってクールな方です。
仕損じたり結果が良くなくても簡単に忘れます。
一つにささって深いと考えません。
他の小心な選手たちはいくら心理治療を受けてもうまくできないようです。
私は試合を控えてもとても気楽に見えて周辺でやきもきです。


■オーサー監督の辞任騒動について

その方とは契約をしたこともなかったです。
そんなに騒々しいのがあっけなかったです。
選手たちはコーチを変えます。

その時ママをののしる人がものすごく多かったです。
内容を分からない人々が私をののしってママをののしると気持ちが良くなかったんですよ


最後に、この元記事にあったインタビュー動画と関連写真(全て)です。



2011112100555_3.jpg2011112100555_4.jpg
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特に上の2つの表情が印象に残りました。
この写真を選んだ記者にとっては、一番いい写真だったのでしょうか。

インタビューアも、
「オーサー監督とのことは、国民にも印象が悪かった」
「オリンピックのあとに浅田真央に負けた」
など、結構辛らつなことを平気で聞いてます。

オリンピックまでは韓国の誇りと崇められたキムヨナ。
そのあとの試合に対する姿勢や奔放な行動などに、アンチも増えている様子ですが、
マスコミの中にもこの記者やカメラマンのようにアンチがいるのかも知れません…。



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  1. 2011/11/23(水) 00:08:21|
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