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伊藤みどりさん、ダブルアクセル成功!&「スポーツ偉人列伝 伊藤みどり」動画

昨夜(日本時間で23:30頃らしいです)行われた
伊藤みどりさん出場ののISU公認の国際アダルト大会のニュースが入ってきました。


伊藤みどりさんは2位=フィギュア・アダルト選手権
時事ドットコム 2011/06/12-10:42

 フィギュアスケートの元選手らを対象とした国際アダルト選手権は11日、ドイツのオーベルストドルフで行われ、女子の36~45歳の元選手クラスに出場した伊藤みどりさん(41)は、64.43点で出場2選手中の2位だった。米国の選手が69.97点で優勝した。

 競技は約3分間のフリー演技で行われ、伊藤さんは冒頭でダブルアクセル(2回転半ジャンプ)を成功させるなど、計3種類のジャンプに挑んだ。1992年アルベールビル五輪銀メダリストの伊藤さんが国際連盟(ISU)公認大会に出場したのは、引退した96年以来。競技会出場も2001年のプロ・アマ大会以来10年ぶりだった。


これが大会の衣装だそうです!
白とブルーで、裾が少し長めでエレガントですね。

20110612-00000014-jijp-000-view.jpg

公式レザルト
みどりさん結果

ダブルアクセル成功したんですね~。
出場した36~45歳の元選手クラスでは、エントリーは2人だけだったんですね。
動画は見つかりませんでしたが、嬉しいニュースでした。

伊藤みどりさんが話題になったところで、
この春にBS-TBSで放送された「スポーツ偉人列伝 伊藤みどり」の動画をご紹介します。
ジャンプの女王、トリプルアクセルの女王としての栄光と苦悩が伝えられてます。

特に印象的だったのはこの言葉です。

「伊藤みどりイコール、イメージとしてはトリプルアクセルじゃないですか。
で、私はジャンプが得意でしたし、成績よりも今のある自分の力を見せていきたい、
出したい、見てもらいたい、っていうことでずっと戦って試合に出てきたので、
やっぱりトリプルアクセルはみんなに失敗しても成功しても、みんなに見てもらいたかったですね」


ジャンプに手を加えている今、確率が悪くても不当にダウングレードされても、
トリプルアクセルに挑戦し続ける浅田選手と、伊藤みどりさんのこの言葉は通じるものがありますね。

番組の内容を全て文字に起こしました。
みどりさんは緑色(笑)、山田満知子コーチは茶色で示しました。


スポーツ偉人列伝 伊藤みどり BS-TBS 2011.3.20放送


それは今から19年前のオリンピック。
日本フィギュア界に女王が誕生した瞬間でした。
最高難度と言われたトリプルアクセルを武器に、
日本フィギュア史上初のオリンピックメダリストとなった伊藤みどり。
彼女が最もこだわったのが”ジャンプ”。
145センチの小柄な女王は、これ一つで世界と戦い続けました。
その裏側に隠された彼女の挑戦の日々を追いかけます。

伊藤みどりがフィギュアスケートを始めたのは4歳の時。
家族に連れられてスケートリンクに遊びに行ったのがきっかけ。
そこで見た光景。それが彼女のスケートの原点でした。

「いろんなスケーターいて、ミニスカートをはいたりとかズボンはいたりとかして、
ジャンプしたりクルクルしたりするの見て、”あー、いーなぁー”とかいう憧れ的な存在でずっと見ていて…」

リンクで飛び交う人たちに魅せられた彼女。
その姿を見ていたのが、スケート教室を開いていた、のちの恩師でした。

「毎日来てたし、目についてたっていうか。
うちの選手の子たちは、お金を払って私にレッスン、ついてる。
彼女はレッスンついてないのに、それを見よう見まねで、レッスンしてる子より上手になっちゃう。
”ただ”レッスンですね(笑)」

まだ小学生のうちから、伊藤みどりの実力はフィギュアスケートの常識を超えるものでした。
当時世界のトップ選手でも難しいといわれていた何種類ものトリプルジャンプを軽々と跳んでいたのです。
誰もが彼女の成長を期待しました。

しかし彼女を取り巻く環境は決して恵まれたものではありませんでした。
小学一年生のときに両親が離婚、
ほかのスポーツに比べ費用がかかるフィギュアスケートを続けるには厳しい状況。
そんな彼女に救いの手を差し伸べたのがコーチの山田満知子でした。
スケートを続けさせるため、自分の家に引き取り、育てることにしたのです。

「ほんとは私が全然血がつながってないのに、
一番態度デカかったのは一番私だったり、そんな環境にしてもらえてたんですね。
あの時は辛かった、あの時は苦しかった、他人の家に入って大変だった…そんな思いは全くなくて…」


公私ともに環境が変わり、彼女は瞬く間に才能を開花させました。
15歳で全日本大会初優勝。その後も持ち前のジャンプで世界にその名を轟かせました。

幼い頃から高度なジャンプの才能を発揮していた伊藤みどり。
その後高みを目指し新たな技に挑戦しました。
それはトリプルアクセル。当時最高難度と言われた技です。

トップクラスの選手でもまだ成功していないこのジャンプ。
彼女も試合ではたびたび行っていましたが、一度も成功したことはありませんでした。

しかし、歴史的偉業を成し遂げる日が、ついに訪れます。
世界で女性初のトリプルアクセルを成功。
ここにジャンプの女王が誕生したのです。

しかし、待っていたのは茨(いばら)の道。
日本フィギュア界に現れた期待の星。
日本はもちろん海外でも、彼女を無視できないくらいになってました。
その喧騒が彼女に及ぼす影響は計り知れなかったといいます。

「伊藤みどりの時代だ、って言われた瞬間、どっとプレッシャーが来てしまって。
もうそれこそ跳ばなきゃいけない、跳んで当たり前、勝って当たり前、一番になって当たり前、
と思うと、それをこなさなきゃいけない、だからもう次へも次へも課題があって、
それを超えるだけで、それを乗り越えるだけで、
それでもアップアップアップアップアップアップしてる…してきたので…」

オリンピックでのメダル獲得、その大きなプレッシャーの中、
予想だにしていないアクシデントが伊藤みどりを襲いました。
オリンピックの前哨戦といわれた世界選手権。
その練習中、選手と接触。この時、相手の刃が足に刺さり負傷。
しかし彼女は痛みをこらえてリンクに立ちました。

だが、ここでさらなるアクシデントが。
壁との目測を誤り、カメラ席に飛び込んでしまったのです。

この失敗で結果は4位。
重圧と戦い続けてきた彼女の心は、ここで完全に折れてしまいました。

「ずっと、もう行かない、もうやりたくないとか、ずっと言ってましたんで…出ないって。
別にそんな辛い思いまでして出たくない、ってことは言ってましたね。
好きだったスケートが、だんだん嫌いになっていくんですよ。嫌になってくんですよ。」

そんな状況の中迎えたアルベールビルオリンピック。
彼女に大きな変化が。

(トリプルルッツで転倒する映像)

この日、彼女は代名詞のトリプルアクセルを一度も跳びませんでした。
実は、トリプルアクセルを封印していたのです。

「やっぱりトリプルアクセルの確率がだんだん悪くなっていくんですね。
なかなか決まらない、曲かけても決まらない、練習中でも決まらない…
こんなに成功率が悪くては、やっぱり自分自身でも自信がなくなってしまって…」

自信を失い、自分らしさを失くしてしまった女王。
そこに最愛の人から…

「こういう結果になるとは思ってませんでしたし、
本人もまぁルッツで一応逃げようか、みたいな形でルッツにしたんですけど、
それが逃げることじゃなくて逆に良くない方向へ行ってしまって、残念ですけれども」

最愛の人から厳しい言葉。
女王伊藤みどりにとって、人生で最も苦しい時でした。

「ほんとにあの、駄目で言ったんです。駄目で言ったんですけど、もともと天才ですから彼女は。
やる気になれば、もともと跳べてたジャンプですから跳べちゃうわけですよ。」

そんな思いは伝わっていたのでしょうか。

迎えた最終日、女子フリー。
一体どんな演技にするのか注目が集まりましたが、彼女が見せたのは…

(トリプルアクセル転倒の映像)

封印していたトリプルアクセルでした。

「伊藤みどりイコール、イメージとしてはトリプルアクセルじゃないですか。
で、私はジャンプが得意でしたし、成績よりも今のある自分の力を見せていきたい、
出したい、見てもらいたい、っていうことでずっと戦って試合に出てきたので、
やっぱりトリプルアクセルはみんなに失敗しても成功しても、みんなに見てもらいたかったですね」

プレッシャーに押しつぶされながら見出したもの、それは自分の大好きなジャンプを跳ぶこと。
そして伊藤みどりは…

(トリプルアクセル成功の映像)

「一番自分がびっくりしてたんじゃないかと思いますね。
で、周りがわーって盛り上がって。
演技自体は30点ぐらいですね。
でも今ある自分のこれなんだってものは出せたので、
悔いなくできたのかなとは思って、後悔はしていない試合でしたね、はい。」

今彼女は全国でスケート教室を開催。
子供たちを中心にスケートの楽しさを教えています。

「まぁ、底辺の拡大ですかね。スケートのきっかけ作りですかね。
そんな感じで今はお手伝いさせていただけたらいいなぁ、
なんて思いながら、今私の人生の中で生きている途中ですね。」


ジャンプの女王伊藤みどり。
彼女の挑戦はまだまだ続く。



4歳でスケートを始めたみどりさん
みどり2

”あー、いーなぁー”と憧れていたと話すみどりさん
みどり3

”ただ”レッスンですね、と笑う山田満知子コーチ
みどり4

11歳で4つの3回転ジャンプをマスター
みどり5

あどけないですね
みどり6

フィギュアを続けるには経済的に苦しかった
みどり7

山田満知子コーチが自宅に招き入れてくれた
みどり8

家族として溶け込むみどりさん
みどり9

15歳で全日本優勝。8連覇って凄い!このあとからトリプルアクセルに挑戦
みどろ10

女性初のトリプルアクセルは1989年世界選手権で!
みどり12

トリプルアクセル成功の上に、日本人初の世界選手権優勝も!
みどり13

世界から注目され、プレッシャーが生まれるように…
みどり14

世界選手権での接触事故。もの凄い勢いで突っ込まれてます。お互いショックでしょうね。
みどり15

これは痛そう。
みどり16

カメラ席に飛び込んでしまった…ケガの影響でしょうか…
みどり18

4位となり、頭をたたくみどりさん。
みどり19

大好きだったスケートが嫌いになっていく辛さを語るみどりさん
みどり20

オリンピックSPではトリプルアクセル封印 代わりに入れたルッツは失敗
みどり21

残念だったと語る山田コーチ
みどり23

FSでは気持ちを切り替え、トリプルアクセルを!2回トライして2回目で見事に成功!
みどり24

今、子供たちにスケートの楽しさを教えている…いい表情ですね。
みどり25


良い番組ですね。

伊藤みどりさんのかつての解説は、
スケートの楽しさを伝えつつ選手への愛情が感じられる魅力溢れる解説でした。

浅田選手に何らかの形で関わっていただくことができればいいのにな、と個人的に思ってます。
トリプルアクセルがどれだけ女子にとって大変な技なのか、
本当の意味でそれが理解できるのは、実際にトリプルアクセルを跳んで来た
伊藤みどりさんだけではないかと思うからです。

コーチとかコンサルタントとかそういうきちんとした関わりではなくとも、
普通に普段自然に会うことができて、フィギュアの先輩と後輩として、
世間話なんかをしながら、さりげなく悩み相談などもできる関係になれたら素敵だと思うのですが…。



<P.S.>
先日は、弱音を吐いてしまいお恥ずかしい限りです。
ビビりのためまだコメント欄は開けていませんが、記事は続けていきたいと思ってます。
どうか、このブログを受け付けない方にはスルーしていただきたいですし、
気に入っていただける方には楽しんでいただければ…と思っています。


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