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東日本大震災からはや一年ですね…

東日本大震災からちょうど1年が経過しました。

あの日の出来事を、私たちは忘れてはなりません。

多くの悲しみを生んだことも事実ですが、
同時に世界から差しのべられる救いの手に支えられました。

当時のことを、写真とニュースで振り返りたいと思います。

まずは当時、津波が発生した瞬間の写真。
辛いので見たくないという方もいらっしゃると思います。
その場合は、最初の4枚の写真は飛ばしてください。

次は、瓦礫から再生へ向かっている写真です。
毎日新聞のカメラマンがとらえた、同じ場所で変化を追っていく「定置観測」の写真。

無残な姿を晒した街から、
瓦礫が取り払われ平地になる様子、
その平地に仮設商店などの白い建物ができる様子。
寒い冬から緑が芽生えて…景色も変わっていきます。

政府の復興支援はいろいろと遅れていると思いますが、
こうやって現地では、ボランティアや派遣などで地道に復興が進められているのですね。

日本のパワーを感じる写真です。



■津波発生の瞬間

岩手県宮古市の堤防を乗り越えた大津波〔岩手県宮古市提供〕
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「ドン」という音とともに押し寄せた大津波。目の前にあったものを全てのみ込んだ
(福島・南相馬市小高区)[富沢貞嗣さん提供]
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岩手県宮古市の藤原防波堤灯台。津波により潮位が変化してゆく〔海上保安庁提供〕
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■瓦礫から再生へ

時事ドットコム 東日本大震災 定点観測より

【津波と火災で焼け野原となった住宅街=宮城県気仙沼市の鹿折地区】

2011年3月12日午前8時12分、手塚耕一郎撮影
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2011年9月5日、手塚耕一郎撮影
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2012年2月29日、森田剛史撮影
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【津波と火災で町が廃墟と化した宮城県気仙沼市の鹿折地区=宮城県気仙沼市】

2011年3月12日午前8時19分、手塚耕一郎撮影
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2011年9月5日、森田剛史撮影
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【大型船舶が流れ着き、大規模な火災が起きた鹿折地区=宮城県気仙沼市】

2011年3月17日午前11時6分、森田剛史撮影
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2012年3月6日、梅村直承撮影
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【火災で焼け焦げた臭いが漂う山田町の中心部=岩手県同町】

2011年3月16日午後0時1分、森田剛史撮影
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2012年3月6日、長谷川直亮撮影
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【津波に運ばれた車やがれきなどが市街地に散乱した=岩手県釜石市大町】

2011年3月12日午前7時半ごろ、鬼山親芳撮影
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2011年9月1日午前8時52分、小関勉撮影
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【地震による津波で土砂に埋もれた土地を見まわる人たち=福島県南相馬市原町区上渋佐】

2011年3月12日午前7時50分、武市公孝撮影
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2011年9月1日午後3時10分、木葉健二撮影
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2012年2月15日、武市公孝撮影
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■震災から1年の今日、各地で開催された行事

震災から1年となる今日、各地で追悼式が行われました。

■天皇陛下のお言葉(1周年追悼式・千代田区国立劇場)


東日本大震災:天皇陛下のお言葉 1周年追悼式
毎日新聞 2012年3月11日 15時14分

 東京都千代田区の国立劇場で行われた東日本大震災1周年追悼式で、天皇陛下が述べられたお言葉は以下の通り。

         ◇ 

 東日本大震災から1周年、ここに一同と共に、震災により失われた多くの人々に深く哀悼の意を表します。

 1年前の今日(こんにち)、思いも掛けない巨大地震と津波に襲われ、ほぼ2万に及ぶ死者、行方不明者が生じました。その中には消防団員をはじめ、危険を顧みず、人々の救助や防災活動に従事して命を落とした多くの人々が含まれていることを忘れることができません。

 さらにこの震災のため原子力発電所の事故が発生したことにより、危険な区域に住む人々は住み慣れた、そして生活の場としていた地域から離れざるを得なくなりました。再びそこに安全に住むためには放射能の問題を克服しなければならないという困難な問題が起こっています。

 この度の大震災に当たっては、国や地方公共団体の関係者や、多くのボランティアが被災地へ足を踏み入れ、被災者のためにさまざまな支援活動を行ってきました。このような活動は厳しい避難生活の中で、避難者の心を和ませ、未来へ向かう気持ちを引き立ててきたことと思います。この機会に、被災者や被災地のために働いてきた人々、また、原発事故に対応するべく働いてきた人々の尽力を、深くねぎらいたく思います。

 また、諸外国の救助隊をはじめ、多くの人々が被災者のためさまざまに心を尽くしてくれました。外国元首からのお見舞いの中にも、日本の被災者が厳しい状況の中で互いに絆を大切にして復興に向かって歩んでいく姿に印象付けられたと記されているものがあります。世界各地の人々から大震災に当たって示された厚情に深く感謝しています。

 被災地の今後の復興の道のりには多くの困難があることと予想されます。国民皆が被災者に心を寄せ、被災地の状況が改善されていくようたゆみなく努力を続けていくよう期待しています。そしてこの大震災の記憶を忘れることなく、子孫に伝え、防災に対する心掛けを育み、安全な国土を目指して進んでいくことが大切と思います。

 今後、人々が安心して生活できる国土が築かれていくことを一同と共に願い、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。

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写真はNHKよりお借りしました


■野田佳彦首相の式辞(1周年追悼式・千代田区国立劇場)


東日本大震災:野田佳彦首相の式辞 1周年追悼式
毎日新聞 2012年3月11日 15時28分

 東京都千代田区の国立劇場で行われた東日本大震災1周年追悼式で、野田佳彦首相が述べた式辞は以下の通り。

       ◇

 本日ここに、天皇、皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、東日本大震災1周年追悼式を挙行するに当たり、政府を代表して、謹んで追悼の言葉を申し上げます。

 多くの尊い命が一時(いちどき)に失われ、広範な国土に甚大な被害をもたらした東日本大震災の発生から、1年の歳月を経ました。 亡くなられた方々の無念さ、最愛の家族を失われたご遺族の皆様の深い悲しみに思いを致しますと、悲痛の念に堪えません。ここに衷心より哀悼の意を表します。また、今もなお行方の分からない方々のご家族をはじめ、被災された全ての方々に、心からお見舞いを申し上げます。亡くなられた方々の御霊(みたま)に報い、そのご遺志を継いでいくためにも、本日、ここに三つのことをお誓いいたします。

 一つ目は、被災地の復興を一日も早く成し遂げることです。 今もなお、多くの方々が、不自由な生活を余儀なくされています。そうした皆様の生活の再建を進めるとともに、生まれ育ったふるさとをより安全で住みよい街として再生させようとする被災地の取り組みに最大限の支援を行ってまいります。 原発事故との戦いは続いています。福島を必ずや再生させ、美しいふるさとを取り戻すために全力を尽くします。

 二つ目は、震災の教訓を未来に伝え、語り継いでいくことです。 自然災害が頻発する日本列島に生きる私たちは、大震災で得られた教訓や知見を、後世に伝承していかなければなりません。今般の教訓を踏まえた全国的な災害対策の強化を早急に進めてまいります。

 三つ目は、私たちを取り結ぶ「助け合い」と「感謝」の心を忘れないことです。 被災地の復興には、これからも、震災発生直後と同様に、被災地以外の方々の支えが欠かせません。また、海外からの温かい支援に「恩返し」するためにも、国際社会への積極的な貢献に努めていかなければなりません。 我が国の繁栄を導いた先人たちは、危機のたびに、よりたくましく立ち上がってきました。私たちは、被災地の苦難の日々に寄り添いながら、共に手を携えて、「復興を通じた日本の再生」という歴史的な使命を果たしてまいります。

 結びに、改めて、永遠に御霊の安らかならんことをお祈り申し上げるとともに、ご遺族の皆様のご平安を切に祈念して、私の式辞といたします。

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東日本大震災の追悼式が行われる国立劇場に到着した野田首相
=11日、東京都千代田区(ロイター)



■奇跡の一本松でも黙祷(岩手・陸前高田)


奇跡の一本松でも黙祷、献花「安らかに」 岩手・陸前高田 
産経ニュース 2012.3.11 16:47

 津波に耐え奇跡的に残った岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」には、11日の朝から多くの人が訪れ、献花や黙祷(もくとう)をささげる光景がみられた。

 近くの空き地には常に100台ほどの車が停車。京都や北海道といった全国各地のナンバーがあった。

 喪服姿の人も数多く、一本松に手を合わせ涙ぐんでいた。一本松を撮影していた仙台市の会社員、沢口まり子さん(27)は「空に向かって伸びている姿を見ると、前向きな気持ちになれた」と語った。

 地震発生の午後2時46分になると、近くにいる海上の船から汽笛が鳴らされ、一本松に向かい、約100人が黙祷した。岩手県奥州市の会社員、佐藤洋平さん(27)は「1年前と違い、青空の下で海も穏やかだったので、亡くなった方に『安らかに眠ってください』と祈った」と話した。

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■宮城県三陸町の防災庁舎でも献花(宮城・南三陸)


「未希ちゃん、また来たよ」「早く壊して…」 花束に埋まる防災庁舎 宮城・南三陸
産経ニュース 2012.3.11 14:15

 東日本大震災の津波で町職員ら41人が犠牲になった宮城県南三陸町の防災庁舎には11日、朝から多くの遺族らが訪れ、殉職者の冥福を祈って手を合わせた。

 鉄骨がむき出しになった3階建ての防災庁舎は、供えられた花束ですぐにいっぱいになった。遺族、友人、仕事の同僚…。庁舎前にしばらくたたずむと、涙で目を赤くした。

 高さ12メートルの津波が到達するまで、防災無線で避難を呼び掛け続けた町職員、遠藤未希さん=当時(24)=の専門学校時代の同級生4人も喪服姿で訪れ、献花した。同県加美町の介護士、安藤香都里さん(25)は「『また来たよ』って話しかけた。本当は逃げてほしかったけど、未希ちゃんの声でみんなが助かったなら…」。

 町職員になってまだ1年目だった井上翼(たすく)さん=同(23)=のはとこ、小瀬良(こせら)茜さん(34)は仙台市の仮設住宅から訪れ、花束と缶ビールを供えた。「ビールは弱かったけど、好きでよく飲んでいたから。この建物をみると、翼のことを思い出してつらい。早く取り壊してほしい」と涙ぐんだ。

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東日本大震災発生から1年。宮城県南三陸町の防災対策庁舎には多くの人が訪れ、手を合わせていた
=11日午前、宮城県南三陸町(松本健吾撮影)



■原発20キロ圏内で慰霊祭(福島・大熊)


原発20キロ圏内で慰霊祭 防護服姿からのぞく目に涙「まだ夢のよう…」 福島・大熊
産経ニュース 2012.3.11 14:19

 東京電力福島第1原発事故で役場ごと福島県会津若松市に避難している大熊町は11日午前、警戒区域に指定されている同町内で現地慰霊式典を開催した。式典では津波で家族を亡くした遺族による献花のほか、町役場敷地内で復興を願いサクラの植樹も行われた。

 ひしゃげたガードレール、折れた電柱、つぶれた車…。式典会場の周囲には今も生々しい傷跡が残っていた。会津若松市の仮設住宅から参加した木村巴さん(73)は、津波で夫の王太朗さん(77)と義娘の深雪さん(37)を失い、孫の汐(ゆう)凪(な)さん(7)は今も見つかっていない。「まだ夢の中にいるようで、こんなに短い1年はなかった」と振り返った。

 木村さんは式典後、基礎だけが残った自宅跡に3つの花束をささげ、肩を振わせた。「原発事故で立ち入りできず孫を捜せなかったことが悔しい。まだ孫がどこかで生きているのではという気持ちが消えない」。放射線防護服からのぞく目から涙があふれた。

 その後、町役場で遺族らによる植樹祭が行われ、復興への希望と慰霊の気持ちを込めたヨウコウザクラ(陽光桜)10本が植えられた。木村さんは「いつかこの木が大きく育って、孫の世代にきれいな花を見せてほしい」と願った。

 同町では津波で9人が死亡、1人が行方不明になった。式典は原発から約1キロの同町夫沢地区などで行われ、遺族3人や町関係者ら15人が参加した。

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福島第1原発事故の警戒区域内で行われた大熊町の追悼式。海に
向かって弔辞が述べられた=11日午前、福島県大熊町(古厩正樹撮影)



■東電社長、福島第1原発訪問、黙祷、謝罪


東電社長、福島第1原発訪問 黙祷、謝罪も被災者には会わず
産経ニュース 2012.3.11 15:40

 東日本大震災から1年を迎えた11日、東京電力の西沢俊夫社長は福島第1原発を訪れ、「事故で社会の皆様に大変なご迷惑をおかけしている。心よりおわびします」と謝罪した。

 作業服姿の西沢社長は、第1原発の免震重要棟の緊急時対策室で、午後2時46分から約1分間にわたって黙祷(もくとう)し、約200人の作業員らを前に「まだまだ長く厳しい道のりは続く。1人1人が被害者の気持ちを心に刻み、安全最優先で、難局に一致団結して取り組みたい」と訓示。さらに、「賠償について厳しい状況にあるが、被害に遭われた方の思いを受け止め、迅速、適切な賠償に最大限努めたい。事故以降、厳しい意見を多数頂いている。真摯(しんし)に受け止め、正すべきは正して参りたい」と反省の弁を述べた。

 訓示は社内のテレビ会議で東京・内幸町の本店や各支店などに中継され、本店では同社幹部ら約150人が神妙に聞き入っていた。

 この日、第1原発と第2原発を訪問した西沢社長だが、被災者との対話や記者会見は行わない予定だ。

 記者会見は相沢善吾副社長が東電本店で午後5時から開催し、この1年間の取り組みを説明するという。

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震災発生時刻に合わせて黙とうした後で、社員らに訓示する
東京電力の西沢俊夫社長=11日午後2時47分、東京・内幸町の本店



■東電前では「ふくしま返せ」の抗議(東京)

東電社長も福島第1原発を訪問し黙祷と謝罪を述べられました。
一方、東電の会社の前には、「ふくしまを返せ」という抗議が行われていました。


「ふくしま返せ」「すべて廃炉に」=50人が東電前で抗議-東京
時事ドットコム 2012/03/11-14:27)

 東京電力本社(東京都千代田区)では、市民団体のメンバーらが全原発の廃炉や避難者への十分な賠償を改めて訴えた。
 本社前には、インターネットでの呼び掛けに応じた50人ほどが参集。「ふくしまを返せ」などと書かれた横断幕を掲げた。参加者の1人が「すべての避難者に賠償しろ」と訴えると、大きな拍手が上がった。

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これら追悼・抗議が行われた以外にも、
当時日本を支援してくれた海外への感謝の広告も配信されました。

まずは、台湾への感謝を伝えるニュースです。

■「ありがとう、台湾」被災者がテレビCMでメッセージ


「ありがとう、台湾」=被災者がテレビCMでメッセージ
時事ドットコム 2012/03/10-06:01

 【台北時事】台湾のみなさん、ありがとう-。東日本大震災の被災者に多額の義援金を寄せてくれた台湾の人々に感謝するため、震災発生から丸1年となる11日から、被災者本人の出演するテレビCMが地元主要局で1週間放映される。企画した日本の対台湾窓口交流機関、交流協会台北事務所(大使館に相当)によると、こうしたCMを放映するのは世界でも台湾だけという。
 CMには、震災当日に生まれた乳児と両親、漁師、木工職人といった被災者が出演。復興しつつある自身の生活を紹介するとともに、「台湾のみなさんのおかげで元気になれた。支援をありがとう」などとするメッセージを伝える。CMはテレビのほか、インターネットの動画投稿サイト「ユーチューブ」や屋外モニター、地下鉄でも放映される。

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■「温かい支援を忘れない」在韓大使館が新聞広告…これは微妙な気持ちでした(石ころ)

そして…韓国へも感謝の広告が出されました。
このニュースタイトルを見たとき、自分の中では物凄い違和感が渦巻いてました。


「温かい支援を忘れない」=大震災1年で感謝の新聞広告―在韓大使館
Yahooニュース 時事通信 3月9日(金)7時10分配信

 【ソウル時事】在韓国日本大使館は11日に東日本大震災から1年となるのを前に、9日付の韓国紙、中央日報、朝鮮日報、東亜日報に「最初に温かい手を差し伸べてくれた韓国国民の皆さんを日本国民は永遠に忘れない」と謝意を表す広告を掲載した。
 韓国では、政府が真っ先に救援隊を派遣しただけでなく、国民挙げて義援金を提供する動きが広がった。広告には、絵を描く被災地域の子どもや復旧した仙台空港、昨年世界遺産登録が決定した岩手・平泉の中尊寺など6枚の写真を掲載し、着実に復興が進み、観光地として魅力に富んでいることもアピール。「ぜひ日本を訪ね、活気に満ちた姿を確認してください。私たちは皆さんと手をつなぎ、ともに前進したいと思っています」と強調している。 

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■韓国へ謝意を伝えることに違和感を覚える理由

当時は、テレビを見る限りでは、
「韓国はいち早く救助隊をよこし、多くの義援金を送ってくれた」とされてました。

でも、テレビで報道されないところでは、
韓国の支援がテレビの通りでないことを知りました。

いち早く「救助をしたい」と申し出てくれたのは台湾
日本政府はそれを2日間も許可せず、台湾の救助隊は空港で待ち続けました。

中国へ配慮して…という理由らしいですが、
一刻を争う事態に、そんな体裁を気にする暇などあってはなりません。

結局、台湾の救助隊が日本に到着したのは2日後。
韓国と中国の救助隊が入国したあとでした。

テレビでは「いち早く救助にかけつけてくれた韓国」と繰り返しました。
でもそれは捏造された事実です。

韓国・中国の顔を立てるために浪費した2日間に、
台湾の救助隊によって助かった命もあったのではないかと思います。

このことは、「中韓をなぜ特別扱いするのか!」ということで、
ネットでは問題になりました。そのニュースです。

■中国と韓国の顔を立てるために台湾救助隊を2日も足止めした日本


国賓待遇の救助隊って…中韓をなぜ特別扱いするのかっ!
ZAKZAK 2011.03.14

 東日本大震災の被災者を救出するため、世界各国から緊急救助隊が駆け付けているが、なぜか、中国と韓国の救助隊だけを外務副大臣が空港で出迎えていたことが分かった。菅政権の特異な感覚が明らかになった。

 韓国の救助隊(5人)は12日、中国の救助隊(15人)は13日に羽田空港に到着。それぞれ、高橋千秋副大臣と伴野豊副大臣が出迎えたという。同盟国であり、空母ロナルド・レーガンや多くの在日米軍を動員、約150人もの大救助隊を派遣した米国をはじめ、英国(63人)、シンガポール(5人)など世界各国から救助隊は駆け付けているが、副大臣が出迎えたのは中韓2国だけ。

 菅政権は、韓国に一方的に古書を引き渡すことを約束したり、尖閣沖での中国漁船衝突事件の映像を隠蔽するなど、中韓2国を優遇する姿勢が目立つ。日本史上最大の大震災で閣僚クラスは大忙しなのに、なぜ、そこまで特別扱いするのか!?

“世界の国々で最初に日本に来てくれた”韓国救助隊と記念写真をわざわざ撮る高橋千秋副大臣
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■待たされた台湾を伝えるニュース

2日待たされた台湾の救助隊について伝えるニュースです。


台湾の救援隊、2日待たされ到着 日本、中国側に配慮か
朝日新聞 2011年3月14日20時48分

 【台北=村上太輝夫】台湾の救援隊が14日、羽田空港に到着した。11日の地震発生直後にすでに隊員派遣の用意を表明しながら、丸二日も待機を強いられた。台湾側は「中国要因でしょう」(外交関係者)と受け止めている。

 日本側はいったん受け入れると返答したが、その後「現場が混乱している」として待つよう要請した。だが、その間に各国から救援隊が入り、台湾メディアから「なぜ入れないのか」と疑問が出始めていた。日本政府は1972年に台湾と断交、「台湾は中国の一部」とする中国の立場に配慮しており、台湾隊受け入れをためらったとみられる。

 13日に中国の救援隊が現地入りし、同日夜にやっと台湾隊受け入れが決まった。

台湾からのレスキュー隊
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雪の中、テントを張って夜を過ごした台湾のレスキュー隊員たち
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韓国は、確かに救助隊を派遣してくれました。
でも、次の記事によると、救助・捜索していたのは、
日本人被害者ではなく、在日同胞の韓国人だったということがわかります。

日本人を助けたかったのではなく、
日本にいる韓国人を助けたかった。

もちろん全てが、全員が、そうではないでしょうが、
多分にその気持ちは強かったということが伝わるニュースです。

その次のニュースでは、
我先にと日本から脱出しようとしていた韓国人の様子を伝えています。

自分のことと、自分の国の人のことしか眼中にない国民性がわかります。

■日本に暮らす韓国人の捜索が目的だった韓国


韓国の迅速対応チーム、被災地で初めて自国民救助
綜合ニュース 2011/03/17 08:15

【仙台17日聯合ニュース】日本の被災地に派遣されている韓国政府の迅速対応チームが16日、韓国人4人の救助に成功した。韓国政府の派遣した救助隊が自国民を救助したのは初めて。

 駐日仙台総領事館に派遣されている同チームが救出したのは、宮城県石巻市で孤立していた50代女性キム・ヨンスクさんのほか、キムさんの姉や親戚の3人。日本在住のキムさんに会いに3人が韓国から訪問中に被災し、津波の影響で孤立していた。

 キムさんらの救助については、震災から5日目に韓国にいるキムさんの身内から入った情報を基に、捜索活動を開始。さまざまな困難を克服し、キムさんらを発見した。

 キムさんの姉は「救助隊の姿を見たときは、言葉にできないほどうれしかった。韓国の身内も心配しているので、一日も早く帰国したい」と語った。

 韓国政府は7人の迅速対応チームのほか、120人の緊急救護隊を被災地に派遣。日本に暮らす韓国人や韓国人旅行者の捜索にあたっている。また、日本政府の協力や現地の報道を基に在日韓国人や朝鮮籍の人らの安否確認作業も行っている。


■我先にと日本を脱出していた韓国人


東日本大震災、羽田空港は韓国人「脱出ラッシュ」
総合ニュース 2011/03/13 10:27

【東京12日聯合ニュース】東日本大震災の発生から2日目を迎えた12日、東京の羽田空港は日本から「脱出」しようとする韓国人で大混雑した。

 同日午後6時ごろ、大韓航空発券カウンター前では、韓国人20人余りと航空会社社員とのいざこざがあった。2時間後にソウルの金浦空港に向け出発する最終便に乗ろうと早朝からキャンセル待ちで待機していたが、結局チケットを手にすることができなかった人たちが抗議をしていた。

 取材陣も声をかけづらいほど興奮していた人々の表情には、生まれて初めて経験した大地震に対する不安と恐怖感がそのまま表れていた。出張で訪日したという40代の男性は「それでも今は抗議が収まったほうだ。午後2時ごろには50人の乗客が発券ブースに集まったが、韓国に向かえたのは15人だけだった」と固い表情で話した。

 羽田空港内では、韓国人をはじめとする外国人200人余りが、空港側が支給した毛布に身を包み、いつになるか分からない帰国の便を待っていた。

 地震が発生したときに都庁の近くにいたという50代の韓国人男性は、「全身が凍るような感じだった」と、当時の状況を伝えた。さらに驚いたのは、不思議なほど落ち着いて対応する日本人の行動だったという。「会社から配ったとみられる救護物資を背負い、走らず、歩いて帰宅していた」と舌を巻く。

 帰国便の相次ぐ欠航で、空港で待機している乗客らは一様に、航空会社に対する不満を吐露した。この日午後に帰国する予定だった30代の韓国人男性は「状況が状況だけに、航空会社が特別機を用意してくれれば。そういう点がとても残念だ」と不満を漏らした。 

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混雑する羽田空港大韓空港カウンター=12日、羽田(聯合ニュース)


■韓国の義援金の行方

また韓国は、義援金をいったん集めてくれましたが、
この場に及んで教科書問題で日本へ送金する義援金を20%に削りました。
そして大部分の70%は、日本と国境問題になっている「竹島」の守護活動に回しました。

独島を自国領土と捏造した内容をすべての中学校教科書に採択するような
敵対的な態度を見せる日本に義捐金を送る必要などない


と考える人が70%もいて、その通りにしたそうです。

日本に義援金を送る必要などない

だそうです。(あまりにカチンときたので二回書きました)


韓国の義捐金 20%を被災地に、70%を“独島守護活動”に
2011.04.20 07:00 NEWSポストセブン

 近年の韓流ブームやアイドルグループの日本進出により、犬猿の仲といわれた日韓のわだかまりはすっかり解消されたかのようだ。

 そして東日本大震災の発生後、世界の主要国と同様に、韓国もいち早く日本支援に動いてくれた。震災翌日の12日には救助隊を派遣し、韓国の赤十字社には1日1億円以上の寄付が集まった。韓国ではARSという電話での募金システムが普及しており、1回の電話で2000ウォン(約150円)の募金をしようと多くの人々が日本のために受話器をとったという。

 ソウル・衿川区の職員たちも当初は、被災した日本人を思いやってくれる善意の人たちだった。衿川区は人口60万人で、日本人も63人が在住している。約1000人の区職員たちはお金を出し合い、1200万ウォン(約92万円)もの浄財が集まった。

 本来ならばそのまま何事もなく日本に全額送金されたことだろう。しかし、3月末、日韓双方が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)問題が、日本の中学教科書の検定結果が明らかになったことで再び注目を集める事態になってしまった。

 衿川区の広報課長、シン・ジョンイル氏が語る。

独島を自国領土と捏造した内容をすべての中学校教科書に採択するような敵対的な態度を見せる日本に義捐金を送る必要などないという意見が多数出てきたため、3月31日と4月1日の2日間、職員を対象に『日本の地震被害支援募金の使用方法について』のアンケートを実施しました。330人から回答が集まり、『主旨通りに使う』が20%、『独島の守護活動を支援する』が70%、その他が10%という結果になりました」

 衿川区長チャ・ソンス氏は4月5日、アンケート結果を尊重して、募金のうち20%を日本へ送り、70%を独島守護活動団体に、10%をなぜか戦争性被害者(元従軍慰安婦)の団体に寄付することを発表した。

※週刊ポスト2011年4月29日号


なんとなく、最後は韓国特集になってしまいましたが…

日本はちゃんと前に進もうとしています。
国民の力と、温かい支援を送ってくださった海外の方たちのおかげで。

でも、その頑張りに水を差すような政府には、憤りを覚えます。

国民の危機よりも国家間の立場を優先させる政府。
善意よりも国民感情を優先させる韓国。

複雑な感情が絡み合う国際情勢にはうんざりします。

せめて世界中から届けられる善意のメッセージや支援は、
素直に受け入れ、それをパワーにしていきたいと思います。

東日本大震災 海外支援まとめWiki
Paper Cranes for Japan(折鶴プロジェクト)
pray for japan(印税全てが義援金となる本になりました)
pray for japan NAVERまとめ
米軍「トモダチ作戦 operation tomodachi」NAVERまとめ
【まとめ】「ありがとう、台湾」テレビCMでメッセージまでの流れ



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