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札幌オリンピックから40年-ジャネット・リン特集です。

今日はジャネット・リンの記事によくヒットしたので、
突然ですが、ジャネット・リンの特集です(笑)

札幌オリンピックで、その妖精のような笑顔で人気を博したジャネット・リン。
1972年といえば私は小学校低学年だったので、薄っすらと覚えています。

当時の演技と人気を伝える特集番組がありましたので、どうぞ。

Janet Lynn 1972 Sapporo Olympics / Calpis(Calpico) CM


■ジャネット・リン関連記事3つ

この記事で現在のお顔を拝見しました。
髪型も笑顔も変わってないですが、もう58歳になられたのですね。

札幌オリンピックから40年ということで、
朝日新聞の取材に応じてくださったそうですね。


(1)ジャネット・リンさんインタビュー
朝日新聞 2012年02月03日

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2012年1月、バージニアナ州で      札幌五輪では、演技中に尻餅をついたが、笑顔で立ち上がった

■転んで笑ったあの日

 1972年に開かれた札幌五輪のフィギュアスケートで、銅メダルに輝いたジャネット・リンさん(58)。演技中、尻餅をつきながらも、プラチナ・ブロンドのショートヘアに満面の笑みを浮かべて立ち上がった姿が、国民的な人気を呼んだ。「札幌の恋人」として今なお慕われるリンさんを米バージニア州の自宅に訪ねた。

   ◇

 米シカゴ生まれ。2歳半でスケートを始め、米五輪史上最年少の14歳で出場した1968年グルノーブル五輪9位。銅メダルを獲得した札幌五輪では、前半・規定で4位と出遅れたが、後半・自由は尻餅をついたにもかかわらず1位だった。スウェーデンの審判が芸術点で満点の「6.0」を出したことも話題になった。日本では「銀盤の妖精」と呼ばれ、98年長野五輪の前にも親善大使として来日した。両親がクリスチャンで、自身も12歳で入信した。

   ◇

■勝てなくても ベストを尽くそうと

 ――改めて札幌五輪を振り返っていただけますか。

 「規定演技が4位に終わり、悲しくて選手村の部屋で泣きました。そのうちに神の声が聞こえたような気がして平静になり、心が切り替わった。五輪で勝利するという当初の使命は果たせなくても、代わりにスケートを通じて神の愛を皆に見てもらうためにベストを尽くすのだ、と」

 ――自由演技では、スピンで転んでしまったのに立ち上がったときは笑顔でした。どんな気持ちだったのですか。

 「練習ではあそこで転んだことなんて一度もありませんでした。あれは神が仕掛けたストーリー。どうすることもできないならば、私は笑顔であり続けるしかない。『神が私に喜びを与えてくれ、私はその愛を見せようとした』。それ以外に説明ができません」

 ――フィギュアの指導はしているのですか。

 「直接教えることはほとんどありません。家族のことが最優先で、子どもや夫のために家を守ることの方が重要ですから」

 ――ご家族は。

 「1975年にスケーター仲間の弟だった1歳年下の人と結婚しました。ビジネスマンです」

 ――息子さんが5人いると聞きました。

 「一番上が34歳で、32歳の双子、20歳、17歳。スケーターは一人もいません。私は両親にスケートを強制されなかった。息子たちに教えはしましたが、やらせようとは思いませんでした」

 ――最近のフィギュアスケートの傾向をどうみていますか。

 「変化を感じています。(ジャンプやスピンの)技術的な側面も大切ですが、基本練習を積み重ねることが重要。そうすることでけがを防ぐこともできるし、氷の上を浮遊するような演技ができるようになります」

 「フィギュアは、氷の上に2本の足を乗せて表現する『言語』だと思います。最近のルールでは、フィギュアが本来持っている、人々に大きな喜びを与え、人々を心地よくリラックスさせる『言語』が失われつつあるようで心配です」

    ◇

【札幌市民へのメッセージ】

 私の魂を皆さんと分かち合ったあのオリンピックのことを、長く忘れないでいただいてありがとう。神の平和と愛に希望あれ

     ◇

 札幌五輪開幕から3日で丸40年になる。35カ国の代表を集めて、日本で初めて開かれた「白銀の祭典」は人々に大きな感動を与えた。ゆかりの人やかつての現場を訪ねた。

(小西淳一が担当します)

Snap6779936.jpg
札幌市民への直筆メッセージ


朝日新聞からジャネット・リンの2つ目の記事です。
札幌オリンピックの選手村に残されたジャネット・リンのサインのお話です。
サインを大切に守り続けているご夫婦の笑顔も素敵です。


五輪団地に残るサイン 大切に守る夫妻
朝日新聞 2012年02月03日

■孫の名は「倫(リン)太郎」君

 札幌五輪の間、ジャネット・リンさんがチームメートの2人と過ごしたかつての選手村の部屋を訪ねた。札幌市南区真駒内緑町3丁目にある五輪団地の3DK。リンさんは五輪の翌年の1973年に再び訪れ、壁に「Peace,Love+Life」と書いた。それが今も残っていた。

 3年前に訪ねた時は、会社員内藤晋士さん(36)と夕子さん(36)、当時2歳だった倫太郎(りんたろう)君(5)の3人が住んでいた。たまたま内藤さんがこの部屋を購入し、引っ越してきてから生まれた倫太郎君はリンさんにちなんで名付けられた。

 リンさんへのインタビューの際、そのエピソードを伝えると、「なんてことでしょう! ぜひよろしくとお伝えください」。こんな伝言も託されたので、五輪団地を再訪した。倫太郎君の一家は転勤で引っ越していたが、昨年9月からは父方の祖父母にあたる内藤義孝さん(69)、桂子さん(64)が東京で営んでいた薬局をたたんで引っ越してきていた。

 「オリンピックの時のリンさんはテレビで見た。転んでしまったのにあれだけ愛嬌(あいきょう)のある笑顔で立ち上がるなんて……。本当にかわいらしかった。その人のサインのある部屋に住むことになるとはねえ」と義孝さんは感慨深げ。「透き通るようなショートカット姿がとても印象的でした」と桂子さんも懐かしむ。2人は札幌五輪の年に結婚し、新婚旅行は北海道。登別温泉の旅館で記念にもらった札幌五輪の公式マーク入りのスプーンを、今も大切にしている。

 壁にあるサインは現在、透明なアクリル板で覆われている。実はサインはもう一つあった。リンさんが五輪の時に書いたもので、それは前の所有者が賃貸に出している間に消えてしまった。残った方は、倫太郎君の両親が入居する直前の2005年、業者がリフォームで壁を塗り替える際に保存するため「養生」してくれたという。

 母方の祖母の浅利敬子さん(72)は、娘夫婦がこの部屋に引っ越してくる前から隣の棟に住んでいる。アクリル板で覆われる直前、浅利さんは洗剤を布に浸して周りの壁をこすってきれいにした。「貴重なサインを傷つけないよう慎重にこすったんですが、白くなり過ぎてかえって目立っちゃったかもしれませんね」と笑った。

 大切に保存され続けてきたサイン。リンさんは「まだ残っているなんて……。私はスケートをした、ただの女の子ですよ。自分の身の丈よりも大きなストーリーの中に置かれているような感じがします」と驚いていた。

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朝日新聞から3つ目の記事です。
東日本大震災の被災者に向けて、メッセージを書いてくださいました。


ジャネット・リンさん「日本は災難に打ち勝つ力ある」
朝日新聞  2012年2月1日17時3分

 1972年の札幌五輪で「銀盤の妖精」と愛されたフィギュアスケート銅メダリストのジャネット・リンさん(58)が1月、米バージニア州の自宅で朝日新聞の取材に応じた。「日本の皆さんはいつも私に善意と親切と愛を与えてくれた」とし、東日本大震災の被災者へ「日本の皆さんの偉大な精神には、この壊滅的な災難に打ち勝つ力がきっとあると信じている」とのメッセージを寄せた。

 札幌五輪から2月で40年になることを機に取材に応じた。今は5人の息子の母親だ。五輪後、「1万5千通の手紙や、贈り物をいただいた。全て残してある」という。

 札幌五輪では、スピンで尻餅をつきながらも愛らしい笑顔で立ち上がり、その姿が日本で人気を集めた。「スケート靴を履いた、ただの女の子が、札幌で起きたことをきっかけに今なお身の丈をはるかに超えるストーリーの中にいる」と語った。そして「魂を分かち合った、あの五輪のことを忘れないでいてくれてありがとう」と話した。

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■記録よりも記憶に残る選手…安藤選手も憧れるジャネット・リン

ジャネット・リンについて調べていると、
安藤美姫選手のこんな記事にたどり着きました。

トリノオリンピック当時のインタビューで、
ジャネット・リンに憧れていると話していたのですね。


美姫 ジャネット・リンになる!
デイリースポーツ 2006.01.21

 トリノ五輪フィギュアスケート女子代表の安藤美姫(18)=愛知・中京大中京高=が20日、五輪までの調整を行うため、練習拠点にする米オハイオ州・クリーブランドに出発した。安藤は、1972年の札幌五輪で銅メダルを獲得した米国の伝説的な名選手、ジャネット・リンさん(52)を目標にすると発言。長かった髪の毛をバッサリと切った“ニュー・ミキティ”が気分一新、旅立った。 34年の時を経て、ミキティが“和製ジャネット・リン”になる。出発前の成田空港。かねてあこがれていたリンのことを尋ねられた安藤は、あふれそうになる思いを一気に吐き出した。

 「リンは特別かもしれない。あの五輪は、優勝した人よりもジャネット・リンの五輪だったというのがすごいと思う。優勝者は何人もいるけど、リンは名前を覚えてもらっている。人の心に残るような演技をすることは難しいけど、リンのような演技をしたい。見ているお客さんと一緒に、笑って終わりたい」

 リンは札幌五輪に米国のエースとして出場。フリーではシット・スピンで尻もちをつく失敗をしたものの、芸術点で満点の6・0をたたき出した。愛くるしい笑顔、輝く金髪…。“銀盤の妖精”と呼ばれ、日本中のファンをとりこにした。

 安藤もこの時の映像を見聞きするたびに、想像を膨らませた。「五輪に出るのが夢。大舞台で、楽しく笑顔で滑れたらいい」。太陽のようだったリンの表情を、自らに重ね合わせてきた。記録とともに、記憶に残る選手が安藤の目標だ。

 乙女の命である髪をバッサリと切った。この日、空港で初披露したミキティは「1週間前くらいに切りました。イメージチェンジです。切りたいと思っただけ」と平静を装ったが、リンをほうふつとさせるショートカット。五輪にかける決意が表れていた。

 「4回転?米国で体調とも相談しながら練習していきたい。早くトリノに行って、五輪の雰囲気を味わいたい」。年明けに本番のリンクで合宿したばかりなのに、はやる気持ちが抑えられない18歳。リンが札幌に出場した時も18歳だった。

http://www.daily.co.jp/olympic/2006/01/21/202129.shtml


当時の安藤選手のプロフィールにも「尊敬する人物:ジャネット・リン」と書かれていました。
JOC-トリノ五輪日本代表選手団:スケート・フィギュアスケート

そういえばトリノオリンピックの頃はショートカットでしたが、
ジャネット・リンへの思いが無意識に働いたのかもしれませんね。

img_459537_29562069_0.jpg

金メダルの選手よりも、銅メダルのジャネット・リンのほうが人々の記憶に残っている。
そんな選手になりたいと、安藤選手は思っていたのですね。

確かに、この札幌オリンピックの表彰台を見ても、
名前がわかるのはジャネット・リンだけで、金・銀の選手はわかりませんでした。

左からカレン・マグヌセン(銀)、ベクトリアス・シューバ(金)、ジャネット・リン(銅)
87231204.jpg

記録よりも記憶に残る…
そういえばバンクーバーの浅田真央選手の演技はまさにそれだったよなぁ、と思い出してしまいました。



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  1. 2012/02/03(金) 20:48:07|
  2. 海外選手|
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